2010年2月26日金曜日

木喰仏

ネスパスGです。国宝になるような仏像ではありませんが、その何とも言えない微笑みの造形が癒しになると民衆から愛されてきた木喰仏を紹介します。

今から約300年前(1718年)山梨県下部町丸畑に生まれた木喰は、新潟県とはとても縁の深い修行僧です。記録によれば1810年6月5日が命日ということなので、今年はちょうど没後200年ということになります。その没後200年のこの年、新潟県観光協会では木喰を大々的に紹介すると聞いたので、先日少し先回りして、木喰が残した木像を取材しました。長岡市白鳥町宝生寺に残る県指定文化財である三十三観音像と自刻像です。

木喰は60歳を過ぎてから作仏を始め、千体仏の造像を発願、90歳で達成するという超人です。木喰は修行僧として後半生のほとんどを日本全国北海道から九州までの各地を旅して過ごしていますが、長期滞在したのは、佐渡の4年と九州日向の9年だけといわれています。新潟は居心地が良かったのか、木喰は2回に渡って訪れています。佐渡は当時の木喰僧の聖地とされたこともあり2回目の渡航を考えていたようですが、その佐渡で大地震があり断念したようです。

そして越後では見つかっているものだけでも230体以上の作仏があるとされ、そのほとんどが1803年から1805年の間の2年半の間になされています。写真の仏像もその頃彫られたものです。宝生寺の住職さんにはお会いできませんでしたが、奥様とご子息様にお会いすることができ、木喰さんが地域の方にとても大事にされていることがわかりました。そして、微笑仏と言われる木喰仏に癒しを求め県外からも多くの方が来られるとおっしゃってました。ここはバスが止まれる駐車場がありますので、事前に連絡をした上で訪ねてください。今年は新潟県の各地で木喰仏を巡る旅がブームになる予感がします。


ちなみに木喰を大正13年1月9日に発見して世に紹介したのは民藝の柳宗悦です。



木喰は多くの和歌を残しています。例えば・・・
「みな人の心をまるくまん丸に どこもかしこもまるくまん丸」



木喰はこの宝生寺滞在後わずか2年後89歳にして最高傑作と言われる十六羅漢を京都府八木町清源寺で刻んでいます。そして91歳で消息がとだえますが、旅の中で93歳の生涯を閉じたとされます。
※寺島郁雄写真/矢島新解説「木喰仏」2003年 東方出版を参考にしました。
※掲載の写真は宝生寺の方に特別に許可を得て撮影したものです。
宝生寺ガイド
長岡市白鳥町486 電話0258-46-4768
アクセス JR長岡駅大手口からバス25分
駐車場 有り